勝原町

勝原町は行政地区の適正化により勝原区宮田・山戸・大津区長松の一部を区画整理し、 1968年(昭和43)に誕生した新しい町です。勝原区宮田は江戸時代の宮田村で幕末には龍野藩領、山戸は山戸村で幕末には幕府領、大津区長松は長松村で幕末には讃伎国丸亀藩領でした。1889年(明治22年)、町村制施行により宮田村・山戸村は勝原村宮田・山戸、長松村は大津村長松となります。

それまで大津町付近は蓮池と田んぼばかりの田園地帯でしたが、1939年(昭和14)に日本製鉄広畑製鉄所が操業を開始すると、この辺りの田畑が従業員用の住宅地として注目されます。1946年(昭和21)、ラモート合併により勝原村・大津村は姫路市に吸収合併されて姫路市勝原区・大津区となります。日本製鉄は進駐軍によって解体されたものの、 1950年(昭和25)、 広畑製鉄所の経営は富士製鉄に引き継がれます。朝鮮戦争の特需により広畑製鉄所の設備は拡張されると、1957年(昭和32年)頃からはアパート形式の住宅が建ち始め、1962年(昭和37)には富士製鉄広畑鉄工所の「勝原社宅」の建築が始まります。1968年(昭和43年)11月に区画整理が行われ勝原町となります。しかし昭和40年代から鉄鋼需要の伸びが鈍化し、生産の適正化のため、1970年(昭和45)に富士製鉄は八幡製鉄と合併し新日本製鉄となります。その後も新日本製鉄は合理化を進め、勝原住宅も入居数も減少し、1993年(平成5)には全高炉の操業が停止し、勝原住宅は無人となります。1997年(平成9)、姫路市は大津勝原地区を新業務拠点地区と位置づけ、その跡地は、「フェアヴィラージュあやみの」として分譲されます。 2004年(平成16)、新日本製鐵(現・新日鐵住金)広畑製鐵所社宅跡地に「イオン姫路大津ショッピングセンター」が開業し、2008年(平成20)、JRはりま勝原駅が開業します。