十二所神社

十二所神社は、平将門の乱直前の延長6年(928年)3月1日、南畝町にあった南畝の森に一夜のうちに長さ2丈(約3.6m)ものヨモギが12茎生えたため、村人が怪しんでいると、少彦名命が現れ、ここに吾を祀れ、そして民家に病のものがあれば、このヨモギ葉をとって身体を撫ぜれば必ず平癒する」と仰せになったので、村人はよろこんで社を建てたと伝わります。この地は現在、大将軍神社となっており当社の御旅所となっています。そして平清盛の時代の安元元年(1175年)、現在の地に遷されたと伝わります。また当社の境内には「播州皿屋敷」のお菊さんを祀ったお菊神社があります。社伝によれば永正元年(1504年)、姫路城主小寺則職が病になった時、お菊が主君の病気快癒に当社に参詣したとあり、お菊さんが町之坪弾四郎に殺された後、則職がお菊の忠義を報いるために祠を建てたのだと伝わります。©芳賀一也

十二所神社本殿
十二所神社本殿

 


お菊神社(三菊大明神)

摂社三菊大明神

永正元年(1504年)、姫路城主•小寺則職が病に倒れた時、腰元•菊がこの神社に詣でて、主君の病の平癒を願います。その甲斐あって則職の病は平癒しますが、悪家老•青山鉄山によって則職は姫路城を追われます。内情を探るために腰元として姫路城に入った菊ですが、菊に懸想する町之坪弾四郎に家宝の皿を失くした罪をなすり付けられ殺されてしまいます。姫路城を取り戻した則職は菊の忠義に報いるため、ここに祠を建てたのだといい、これがお菊神社だと伝わります。

御祭神

お菊神社碑
お菊神社碑

十二所神社の現祭神は少彦名神。延長6年(928年)、一夜にし十二茎の蓬が生じ、蓬菜をもって諸病を治すべしという信託により長畝の森といわれた南畝字大将軍に創建されたと伝える。安元元年(1175年)、現在地に移ったという(播磨鑑)。「播磨国衙巡行考証」に「のふねん村・白銀町・たて町大道小路下・西魚町南側・船場大蔵前・しのび町は十二所氏子」とある。拝殿が東向きとなっているのが特徴。境内には摂社として姫路城伝説の「播州皿屋敷」で知られるお菊を祀るお菊神社(旧三菊大明神」がある。(「兵庫県の地名Ⅱ)

 

片岡孝太郎•愛之助奉納の皿
片岡孝太郎•愛之助奉納の皿