姫路城下町絵図(寛文7年〜天和2年)

姫路城下町絵図
姫路市立城郭研究室
寛文七年(1667年)〜天和二年(1682年)

「姫路城下町絵図」 寛文7年〜天和2年 第2次松平時代
「姫路城下町絵図」
寛文7年〜天和2年
第2次松平時代
姫路城下町絵図(解説) (1667〜82)
姫路城下町絵図(解説)
(1667〜82)

松平(結城)家中であった豊田家に伝えられた絵図。第二次松平時代の城下を描いている。喜斎門南の「豊田権内」のところが赤鉛筆で塗られているのは同家子孫の加筆とみられる。
門周辺の石垣表現から未完成の絵図、もしくは必要な情報だけを急いで書写した絵図とみられる。侍屋敷の士名は「播摩姫路之城圖」(国立公文書内閣文庫)と同じである。細部では北勢隠門脇の櫓および埋門の二重櫓が描かれているものの描き方が不自然で後筆とみられる。また「ツユマツ」「ひめ岩」といった城内の名所も加筆されている。樹木屋敷の記載がないのは基図が第一次榊原時代の絵図だったからであろう。
また本図では鳥居先門が描かれていない。鳥居先門は松平(奥平)時代以来、第二次松平時代以降になって開門されるまで、通常は閉鎖されていたために描かなかったのだろうか。備前門の南には牢屋があり、そのすぐ脇に「人切場」=処刑場が記されている。図中の位置では城内に人切場が置かれることとなってしまうので、おそらく書写の際に間違ったのであろう。妹背川の川筋を道と同じ色に塗っているなど誤りもみられる。(「姫路城絵図集」姫路市立城郭研究室)