第23回「半兵衛の遺言」

いやあ、今回も冒頭から泣いちゃいました。
でも史実からは、どんどんずれてます。
官兵衛が助け出されたあと、官兵衛が信長に会った記録はありません。ましてや松寿丸が官兵衛とともに信長と会ったのもありえない。松寿丸が姫路に戻ったのは、播磨平定が終わった春のことです。
 来週、三木城開城ののち、御着城から小寺政職が逃げるのだと思われますが、御着城の落城は11月下旬から12月上旬で、三木城開城の一か月も前の事です。ここでも御着勢は奮戦し、一時は秀吉の馬印が射抜かれたほどでした。そのため火の山に布陣していた秀吉勢は、いったん大塩に引いたため、この谷を引き入れ谷と呼びます。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/story/story23.html