西国橋

江戸時代の西国街道は坂元町から南に下り備前門(福中町)を経て城外に出ていましたが、明治時代になると城門は却って邪魔となったために破却されて官有地となり、明治7年(1874年)10月31日に架橋願が出され、坂元町の西端に木製の橋が架けられ西国橋と名付けられました。今日ある西国橋は鉄製では大正13年(1924年)10月に架け替えられたものです。

船場川に架かっている坂元町通りの西国橋は、廃藩置県による福中門の打ちこわしで、道路整備をしましたが、その時、新たに架せられ、現在に至っています。今の鉄橋は大正13年(1924年)10月のものです(ふるさと城南ものがたり)。

開通したばかりの西国橋か?(無断転載禁止)
開通したばかりの西国橋か?(無断転載禁止)
昭和40年代の西国橋
昭和40年代の西国橋

西国橋は坂元町の船場川に架けられた橋で、明治7年(1874年)10月31日に架橋願が提出されており、明治8年頃に完成したと思われます。右の写真を見ると坂元町の西にあった外堀の土塀が取り壊され、外堀が埋められていることがわかります。ちなみに今の鉄橋は大正13年(1924年)10月に再建された時のものだそうです。