明治初年までは宿村の一部であり、しばしば河川の氾濫によって苦しめられた田園地域で人家も殆どなかった。明治8年(1875年)、芝原村・忍町・南畝村も六ヶ村が合併して、豊澤村となり、明治22年(1889年)、市町村自治制施行に際し、国衙村となった。大正元年(1912年)10月1日、姫路市に編入されたのに伴って駅前町と命名した。
明治21年(1888年)12月23日、山陽鉄道株式会社によって、姫路駅が国衙村豊澤に開設され、姫路~兵庫間が開通した。開通の時の旅客運賃は姫路~加古川間10銭、明石22銭、兵庫34銭と(明治18年米1升6.6銭)当時としては高額であった(田中久文「姫路鉄道百題」)。その後、明治28年(1895年)に飾磨間、明治34年(1901年)に下関および播但線新井まで開通し、姫路駅は陸上交通の地位を高めた。昭和11年(1936年)、神姫線の開通、昭和47年(1972年)、山陽新幹線の開通とその重要性を高めていく。
神姫バス
宇治川電鉄(昭和8年6月に山陽電鉄と改名)によって、昭和2年(1927年)8月8日、創立。加古川を営業拠点とし、神戸~姫路間を運行していた。昭和4年(1929年)、姫路市駅前町202番地に本社を加古川より移転して置く。逐次、中小自動車会社を吸収合併した。昭和8年(1933年)、明石市へ本社を移転し、播州一円の交通網を掌握した。その後、貸切タクシー・貨物等も取り扱うようになった。
昭和18年(1943年)5月、再び本社を姫路市駅前町に移す。このとき自動車保有571両で全国有数規模に成長した。これより先、昭和16年(1941年)9月1日、戦時下の対応でガソリン車の使用を禁止され、木炭・コークス・薪等をガス化して動かす代燃車が登場し、昭和27年(1947年)7月1日、ガソリン統制令解除まで続いた。
戦後は戦災・物資不足・インフレ等の苦難を乗りこえ、順次発展を遂げ、昭和53年(1978年)現在保有台数、一般乗合664台・貸切145台・計809台。延べ走行3316万余㌖・従業員2180名の企業に成長し、不動産・自動車部品販売・保険・広告・レジャー・タクシー等企業グループを結成して活動している(「神姫バス50年史」昭和54年刊)。(「ふるさと城南ものがたり」昭和58年刊)