旧加納町(かのうまち) 「加納町」は竪町の南に位置する町人町で、慶長の町割当時は「銀子屋町」の でしたが、その後「内豆腐町」となり、榊原政岑が城主の頃には「加納町」と改称されています。 町名の由来は荘園時代の加納田もしくは、美濃国の加納町に由来するといわれています。 しかし「加納町」は、昭和59年の区画整理により「立町」と「南町」に統合されて消滅しました。 06旧加納町