坂元稲荷

坂元稲荷
坂元稲荷

江戸時代の初め、姫路城内に御供所稲荷がお祀りされていましたが、榊原忠次公(1649年〜1665年)の時代に坂元町に移されました。戦後、山陽座に祀られていた稲荷社を合祀し、神名を姫城東大神としました。

榊原忠次公(1649年〜1665年)の時代には直養稲荷・白川稲荷・城内の御供所稲荷の三稲荷社がありましたが、城内の御供所稲荷がここ坂元町に遷されました。終戦までは福中内新町との町境にあり、境内には樹齢200年以上の巨杉が茂っていました。戦前、坂元町字中島37番地(西国橋東詰)に遷されました。御祭神は二柱あり、御供所稲荷の御祭

戦前の坂元稲荷
戦前の坂元稲荷

神は倉稲魂大神で公称:伊山大神と称しました。また坂元町山陽座内に祀られていた稲荷社を、戦後、ここに合祀し、神名を姫城東大神とし、有志の信者によって現在も手厚くお祀りしています。(ふるさと城南ものがたり)

TCN-jonan090664-1
福中門から船場川を北望
戦前の西国橋
戦前の西国橋