城南地区は、姫路城の南方及び南東方に位置し、おおむね白鷺中学校区を指す。この地区は、かって市川の氾濫原であり、沖積地である。古い河川として青見川(藍染川)、白井川、飾磨川等が古記録に残っている。近年、本町遺跡の発掘調査によって、古代播磨の官衙があったことが明らかになるなど、播磨国の中枢地でもあった。兵庫県神社誌によれば16世紀初頭には宿村(二階町付近)、農年村(南敏)等の集落が見える。池田輝政の慶長町割により、姫路城中曲輪のほとんどが武家屋敷、国道2号以南及び総社周辺は町屋となり、町屋の外周に武家屋敷を配し、坂田町などは寺院街となったが、この町割は明治初年の廃藩まで殆んど変らなかった。山陽道も当地域を通り、本陣・脇本陣・高札場が置かれるなど、城下町の中心的機能を果たしてきた。明治以後もその機能は変わらず、明治22年白銀町に姫路市役所が開庁、山陽鉄道姫路駅、裁判所、警察署、米穀取引所等も置かれた。「城南」の地域名は、明治9年、城南小学校と名づけられたのが公的には初見とされる。大正12年(1923)城巽小学校が分離して創立された。(『城南地区』をたずねて)