切手木綿会所跡

切手木綿会所跡(綿町) 江戸末期、酒井家の家老河合道(みち)臣(おみ)(のち寸翁)は、藩の財政改革のため、文政3年(1820)山陽道に臨む要衝に切手会所を設け、翌4年には国産会所を併設し、木綿札や木綿切手を発行した。この会所は、明治になってから区役所など公共施設に利用され、その後、民間医院となり戦災で焼失した。(『城南地区』をたずねて)