長源寺 長源寺(立町) 男山山麓にあった長彦寺が輝政の慶長町割で当地を与えられた。明治初年に一時無住になり、やがて総社の明王院が移転したが、大正末に再び長源寺が復活し、それまで寺で祭祀した長壁神社と境内を折半して分離した。長壁神社の6月神事には、無燈籠に走り馬の絵を描き入れ「長源寺の無燈籠」として知られ、祭礼にも売られていた。(『城南地区』をたずねて)