姫路警察署跡
立町筋を南へ直進したところの今の城陽ビルと、その南側、富士サウナをふくむ一帯で約2500平方㌖の地に明治34年(1901年)3月、それまであった県立姫路病院のあとに姫路警察署が設置された。当時としてはモダンな庁舎であった。警察業務は明治6年(1873年)、はじめて邏卒15人を募集して姫路のまちの治安を取り締まった。明治8年(1875年)、捕亡手15人を置いて、取締範囲を播州一円とし、京口に建物を設け、姫路警察署とした。福中町に分署をおき、明治34年(1901年)、南町に新築移転したのである。当初の管轄は姫路全市および飾磨郡の一部に及んだ。消防機能も兼ねていたので、火の見櫓が庁舎の前に設けられ、半鐘が吊るされ、火事の時には盛んに鳴らし、市民を不安がらせたものであった。また編笠をかぶせられた被疑者が東側の裏側から出入りしたものであった。昭和7年(1932年)、元塩町に移転し(今のNHK姫路局)、戦災も免れ、昭和39年(1964年)、現在地(本町68)に移ったのである。南町の庁舎のあと、内務省土木出張所、職業紹介所(戦後は職業安定所)、公共組合事務所等が設けられた。(「ふるさと城南ものがたり」昭和58年刊)