安富町略史
天正8年(1580年)
三森構居、長水山城とともに落城。
慶長5年(1600年)
池田輝政、関ヶ原の戦いの功により播磨国52万石を拝領。安志村以下12ヶ村、姫路藩領となる
慶長8年(1603年)
池田輝政の嫡男•忠継、備前岡山28万石を拝領。
慶長18年(1613年)
姫路藩主•池田輝政、死去。嫡男•利隆、第2代姫路藩主となる。池田利隆、父の遺領のうち西播磨3郡10万石を弟•忠継に分与し、安志村以下12ヶ村、備前岡山藩領となる。
元和元年(1615年)
備前岡山藩主•池田忠継、死去。弟•忠雄、岡山藩主となる。池田輝政の正妻•督姫(良正院)、死去。池田忠雄、母•良正院の遺料10万石を弟たちに分与して池田忠雄の弟•池田輝澄、山崎藩(3万8千石)を立藩。安志村以下12ヶ村、山崎藩領となる。池田忠雄の弟•池田政綱が赤穂藩(3万5千石)、輝興が平福藩(2万5千石)を立藩。
寛永8年(1631年)
赤穂藩主•池田政綱、死去。平福藩主•池田輝興。赤穂藩主となる。山崎藩主•池田輝澄、弟•輝興の平福領を加増され、6万8千石となる。
寛永17年(1640年)
山崎藩内で御家騒動が起こり、池田輝澄、改易となり、岸和田藩主•松平康映、山崎藩主(5万石)となる。
慶安2年(1649年)
山崎藩主•松平康映、石見浜田に転封。池田利隆の次男で児島藩主•池田恒元、山崎藩主となる。
寛文11年(1671年)
山崎藩主•池田恒元、死去。嫡男•恒行、山崎藩主となる。
延宝6年(1678年)
山崎藩主•池田恒行、夭逝。山崎藩(3万石)、改易。
延宝7年(1679年)
本多政勝の三男•本多忠英、山崎藩主(1万石)となる。安志村以下12ヶ村、幕府領となる。
元禄10年(1697年)
津山新田藩主・森長俊、佐用郡・揖西郡・宍粟郡内の一部を領有し三日月藩を立藩。長野村、三日月藩領となる。
宝永2年(1705年)
三森村•名坂村•末広村•栃原村、幕府領林田藩預地となる
宝永7年(1710年)
皆河村、幕府領林田藩預地となる
正徳3年(1713年)
森村•名坂村、幕府領となる。塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、大阪城代内藤弌信領となる。
正徳4年(1714年)
末広村•栃原村•皆河村、幕府領となる
享保元年(1716年)
豊前中津藩主•小笠原長邕、夭逝し、無獅のため改易。小笠原長邕の弟•長興、藩祖の功を考慮し、安志藩(1万石)を立藩。安志村•三森村•名坂村•末広村•栃原村、安志藩領となる。
享保6年(1721年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村•皆河村、幕府領姫路藩預地となる。
寛保元年(1741年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、幕府領となる。
延享元年(1744年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、大阪城代堀田正亮領となる。
延享2年(1745年)
皆河村、幕府領三日月藩預地となる。
延享3年(1744年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、幕府領三日月藩預地となる。
延享4年(1747年)
皆河村、幕府領となる。
宝暦2年(1752年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、大阪城代松平輝高領となる。
宝暦13年(1763年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、幕府領となる。
明和元年(1764年)
塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村•皆河村、幕府領三日月藩預地となる。
明和6年(1769年)
尼崎藩主•松平忠告の時に、幕府による大規模な領地替えが行われる。塩野村•植木野村•下村•狭戸村•三坂村、尼崎藩領となる。
明治22年(1889年)
名坂村•三森村•安志村•長野村•塩野村•植木野村•狭戸村•三坂村•瀬川村(下村)が合併し、安師村が発足。栃原村•皆河村•末広村が合併し、富栖村が発足。
昭和31年(1956年)
安師村と富栖村が合併し、安富町が発足。
平成18年(2006年)
3月 安富町が姫路に編入される