大津茂校区

1617年(元和2)
 6月 姫路城主・池田利隆(33才)、死去。利隆の嫡男・幸隆(8才・のちの光政)、姫路城主となる
1617年(元和3)
   3月  姫路城主・池田幸隆(9才)、幼少のため鳥取に転封となる
7月   桑名城主・本多忠政(43才)、播磨国15万石を賜い姫路城主となる
9月  上総大多喜城主・本多政朝(19才)、播磨国内5万石を賜い龍野藩を立藩。この時、揖東郡天満村・田井村・長松村・西土井村・山戸村・宮田村、龍野藩領となる
 1626年(寛永3)
  5月  姫路藩主・本多忠政の嫡子・本多忠刻( 31才)、死去
龍野藩主・本多政朝(28才)、忠政の嫡子となる
  9月 小笠原長次(13才)、龍野5万石と千姫の化粧料1万石を賜り、龍野藩主となる。
1627年寛永4
  3月 本多政朝(29才)、姫路に移り、代わって小笠原長次(14才)、龍野に入部。この年、揖東郡天満村・田井村・長松村、幕府領となる
1628年(寛永5)
   この年、揖東郡天満村・田井村・長松村、再び龍野藩領となる
1631年(寛永8)
   8月 姫路藩主・本多忠政(57才)、死去。
閏10月 本多忠政の次男・政朝(33才)、姫路藩主となる。
1632年(寛永9)
 11月 龍野藩主・小笠原長次(18才)、豊前中津へ転封となる。これにより龍野6万石は幕府領となる
1633年寛永10)
  3月 大垣藩主・岡部宣勝(36才)、5万3千石を賜り、播磨龍野藩へ移封。西土井村・山戸村・宮田村、再び龍野藩領となる
1635年(寛永12)
  3月 龍野藩主・岡部宣勝(39才)、高槻城加番となる
1636年(寛永13)
   3月 龍野藩主・岡部宣勝(40才)、高槻藩に転封。西土井村・山戸村・宮田村、幕府領となる
1637年(寛永14)
   10月 島原の乱勃発
   この年、出雲国松江藩主・京極高和(19才)、龍野藩主となり、西土井村・山戸村・宮田村、龍野藩領となる
1658年(万治元)
   この年 龍野藩主・京極高和(40才)、讃岐丸亀5万石と播磨揖保郡網干1万石を賜り、丸亀藩主となる。これによって天満村・田井村・長松村、讃岐丸亀藩領となる。そして龍野藩4万石は幕府領となり、西土井村・宮田村、幕府領となる
1672年(寛文12)
    この年 脇坂安政(40才)、5万3千石を賜り、龍野藩主となり、宮田村、龍野藩領となる
1744年(延亨元)
    この年 西土井村、大坂城代・出羽山形藩堀田氏領となる
1746年延亨3)
      この年 西土井村、幕府領となる
1866年(慶応2)
     6月 龍野藩主・脇坂安斐、病気のため第二次長州征伐に参戦せず
 1868年(慶応4)
1月 龍野藩主・脇坂安斐、病気のため第二次長州征伐に参戦せず
1875年明治8)
    西土井村・天満村・勘兵衛村を合わせ天栖小学校を創立
平松村・長松村・吉美村・大江島村を合わせ津川小学校を創立
1884年明治17)
    天栖・津川両小学校を合わせ大津小学校を創立
1889年明治22)
 4月  町村制施行により揖東郡旭陽村が発足し田井村はその一部となる
    揖東郡勝原村が発足し宮田村・山戸村はその一部となる
   揖東郡大津村が発足し天満村・長松村・西土井村はその一部となる
1891年(明治24)
 5月  天津簡易小学校を廃し、大津尋常小学校を設ける
1896年(明治29)
 4月  揖東郡と揖西郡が合併して揖保郡となる
1912年明治35)
      大津尋常小学校に高等科併設
1937年(昭和12)
    広畑に製鉄所ができる
1943年(昭和18)
12月  製鉄所の社宅用地として大津村天満・長松・西土井・勝原村山戸の各一部が買収される
1946年(昭和21)
3月  揖保郡勝原村・網干村・大津村、飾磨市・白浜町・広畑町・余部村とともに姫路市に編入し、姫路市勝原区・大津区・網干区となる
1957年(昭和32)
アパート形式の建物が建ち始める
1962年(昭和37)
富士製鉄広畑製鉄所の「勝原社宅」が立ち始める
1968年(昭和43)
11月  行政地区の適正化により製鉄所の社宅用地が大津区大津町となる。勝原区宮田・山戸・大津区長松の一部が区画整理され、勝原区勝原町となる
1973年(昭和48)
オイルショックがおこる
1974年(昭和49)
4月 姫路市立大津小学校より分離し、大津茂小学校が開校
1987年(昭和53)
4月 姫路市立大津中学校が開校
1993年(平成5)
「勝原社宅」が無人となる
1995年(平成7)
4月 姫路市立大津茂公民館が開館