藩用監獄跡地に明治29年(1896年)1月16日、旧軍隊の治安警察であった憲兵隊の屯所が設置された。これは旧城内に歩兵第十聨隊が駐屯していたが明治29年(1896年)11月、開設予定の騎兵・野砲兵第十聨隊、輜重第十大隊および一部結成の歩兵第三十九聨隊に備え、歓楽街が近くにあり遊休官有地の活用等の理由で設置したと見られる。憲兵隊は明治31年(1898年)、第十師団の設置と共に、明治33年(1900年)、光源寺前に移り、姫路憲兵隊と改称した。本部を姫路に置き、姫路・神戸・鳥取・舞鶴・福知山の5カ所に分隊を配置した。憲兵隊は師団から独立した存在で、陸軍大臣・憲兵司令部の指揮系統に属し、戦前の最高権力の一つであった。戦前の権力機構を調べるうえに有力な資料でもある。(ふるさと城南ものがたり・昭和53年刊)