宝恵駕篭行列〜播磨国総社〜

初ゑびす2

新年16日(土)午前10時頃から、播磨国総社の初ゑびす祭りの宝恵駕篭行列が行われ商店街を練り歩きます。宝恵駕篭行列は神社から配られる縁起物の御札を配って歩く町衆を先頭に、阪神タイガースの選手を乗せた太鼓屋台、七福神の乗せた宝船、そして福娘を乗せた宝恵駕篭が続きます。播磨国総社の宝恵駕篭行列は、戦前は魚町の芸妓さんたちを乗せ、華やかに行われましたが、戦後、花街の衰退とともに中断していましたが、平成8年、芸子の代わりに福娘を募集することで再開され、二階町から魚町、西二階町から駅前を経てみゆき通りを上り、古二階町の割烹森富•魚町の中華料理新北京•二階町のヤマトヤシキ前では鏡割りが行われ、お酒が振る舞われます。

姫路城(姫路公園)

女坂から見た姫路城天守群
女坂から見た姫路城天守群

姫路城(ひめじじょう)は兵庫県姫路市ある日本の城址で、別名を白鷺城(はくろじょう)といいます。この姫路城址には江戸初期に建てられた天守群や櫓•門•土塀等の主要建築物が現存しており、天守を含む8棟の建造物が国宝や74棟の建造物が国の重要文化財に指定されており、特別史跡内はユネスコの世界文化遺産に登録されています。

姫路城公式ホームページ

アクセス
JR姫路駅から外堀跡まで徒歩5分、大手門まで徒歩20分

堲岡里

埴丘の里堲岡里。〔生野。大内川。湯川。粟鹿。波自加寸。土は下の下なり。〕堲岡と号くる所以は、昔、大汝命と少比古尼命と相争ひて云ひたまひしく、「堲の荷を担ひて遠く行くことと、下屎らずして遠く行くことと、此の二の事何れか能くせむ」といひたまひき。大汝命曰ひたまはく、「我は下屎らずして行かむと欲ふ」といひたまふ。少比古尼命曰ひたまはく、「我は堲の荷を持ちて前に行かむと欲ふ」といひたまふ。如是く相争ひて行きたまふ。数日を逕て、大汝命云ひたまはく、「我は忍びて行くこと能はず。」といひたまひて、即ち坐て下屎りたまふ。爾時に、少比古尼命、咲ひて曰ひたまはく、「然るに苦し」といひたまひて、亦其の堲を此の岡に擲ちたまひき。故、堲岡と号く。又下屎らたまひし時に、小竹其の屎を弾き上げて衣を行きき。故、波自賀村と号く。その堲と屎と、石に成りて今に亡せず。一家云はく、「品太天皇、巡行でましし時に、宮を此の岡に造りたまひて、勅して云ひたまひしく、『此の土は堲とあり』といひたまひき」といふ。故、堲岡と曰ふ。

日吉神社(埴岡)【堲岡里】 〔土は下の下です。〕堲岡と名付けられた理由は、昔、大汝命と少比古尼命と相い争って、仰せになるには、「赤土(堲)の荷を担いで遠くに行くことと、下屎らずに遠くに行くこと、どちらが良いか」と。大汝命は、「私は下屎らずに行くことを欲す」と仰せになり、少比古尼命は、
「私は赤土(堲)の荷を持って前に進もうと欲す」と仰せになった。こうして相争っていきました。数日が経って、大汝命が仰せになるには、「私は忍んで行くことができない」と。そして、そのまま座り、屎を下されました。その時に、少比古尼命は笑って、「しかり苦しい」と仰せになり、またその赤土(堲)を、この岡に投げ打たれました。故に堲岡と名付けました。また下屎られた時に、小竹が屎を弾き上げ、衣に付きました。故に波自賀村と名付けました。その赤土(堲)と屎は石と成り、今も無くなっていません。ある人がいうには、「応神天皇が行幸された時に、宮をこの岡にお造りになり、勅して仰せになるには、『この土は堲である」と。故に堲岡といいます。

[解説]「堲岡里」は「和名抄」にある「堲岡郷」で、比定地は神崎郡神河町比延の日吉神社で、里域は現神崎郡神河町(旧大河内町と旧神崎町)と後に但馬国に属する現朝来市生野町を含む一帯です。

砥堀

砥堀と称ふ所以は、品太天皇の世に神前郡と飾磨郡との堺に、大川の岸の道を造りき。是の時に、砥を掘り出しき。故、砥堀と号く。今に猶在り。

【砥堀】砥堀という理由は、応神天皇の時代に、神前郡と飾磨郡との境の大川の岸に道を造りました。この時に、砥石を掘り出しました。故に砥堀と名付けました。今もなおあります

[解説]その遺称地は姫路市砥堀です。

大野里

大野里。〔砥堀。土は中の中なり。〕右、大野と称ふは、本荒野とありき。故、大野と号く。志貴島宮御字天皇の御世に、村上足島等が上祖恵多、此の野を請ひて居りき。乃ち里の名とす。

【大野里】〔土は中の中です。〕大野というのは、もとは荒野といいました。故に大野と名付けました。欽明天皇の時代に、村上足島等の祖先の恵多が、この野を請うて住んだので里の名としました。

[解説]「大野里」は「和名抄」にある「大野郷」で、その遺称地は姫路市大野町で、砥堀から大野町までが里域と思われます。

その他の農業体験

観梅                  1月~3月
好古園                  
姫路市本町68
増位山隋願寺梅園           姫路市白国5
綾部山梅林               
たつの市御津町黒崎1391ー2 TEL:079-322-3551
岩見梅林                 
たつの市御津町岩見1286-2
みとろフルーツパーク         
加古川市上荘町見土呂
すももの花見             4月
みとろフルーツパーク         
加古川市上荘町見土呂
しゃくなげの花見          4月~5月
播州平福しゃくなげの里
         佐用郡佐用町延吉1203-5
ハーブの収穫             4月~11月
香寺ハーブガーデン          
姫路市香寺町矢田部
一番茶                 5月初旬
神崎ふれあい茶園           
神崎郡神河町吉冨
青梅狩り                5月~6月
みとろフルーツパーク         
加古川市上荘町見土呂
さくらんぼ狩り            6月
アダチ観光農園             朝来市和田山町
二番茶                 6月下旬
神崎ふれあい茶園           
神崎郡神河町吉冨
すもも狩り               6月~7月
みとろフルーツパーク          加古川市上荘町見土呂
花菖蒲の花見             6月~7月
播州山崎花菖蒲園            宍粟郡山崎町高所字浅谷621
スウィートコーンもぎ取り      7月中旬の土・日曜日
余部スウィートコーンもぎとり園    姫路市余部区上余部
もも狩り                 8月~9月
アダチ観光農園             朝来市和田山町
なし狩り                 8月~9月
ハーモニーパーク             多可郡多可町
りんご狩り                9月~11月
ハーモニーパーク             多可郡多可町
原観光りんご園             宍粟市波賀町原
柿狩り                  10月~11月
みとろフルーツパーク          加古川市上荘町見土呂
松茸狩り                 10月~11月
金沢亭                   加西市下道山町411-3  TEL:0790-44-0028
みかん狩り               11月~12月
塩屋山みかん山             
赤穂市塩屋3618
坊勢島みかん園             姫路市家島町坊勢

牧場
共進舎牧農園              
小野市浄谷町1544  TEL:0794-63-5751

梨狩り
多可郡
ハーモニーパーク

くりひろい
多可郡
ハーモニーパーク          多可郡多可町  9月上旬~10月上旬

柿狩り
加古川市
みとろフルーツパーク

みかん狩り
塩屋山みかん園

芋掘り体験
神崎郡
グリーンエコー笠形

その他
小野市
共進牧場

ふれあい農園
宍粟市
小野ふれあい農園

炭焼き見学
神崎郡
グリーンエコー笠形

 

いちご狩り

姫路
花岡農園               姫路市香寺町   4月~5月上旬
中山農園               姫路市岡田   3月下旬~5月
姫路いちご園              姫路市船津町   12月~5月
ふらんこいちご園           姫路市船津町   2月上旬~5月
夢前夢工房 ゆめさき苺ハウス  姫路市夢前町   12月~5月

神崎郡
桜山観光農園           神崎郡神河町   1月~5月上旬
高井農園              神崎郡福崎町   1月~5月上旬

多可郡
ハートフルファームやまもといちご  多可郡多可町  12月中旬~6月上旬
ハーモニーパーク          多可郡多可町  1月上旬~6月上旬

加西市
野田いちご園             加西市東剣坂町 12月下旬~5月上旬

加古川市
堀本農園              加古川市上荘町  12月中旬~6月上旬

たつの市
尾西いちご農園            たつの市龍野町

三木市
うららか・のうえん実里      三木市口吉川町  1月~5月上旬
谷井農園              三木市口吉川町  1月中旬~6月
長谷いちご園            三木市口吉川町
みずほいちご園            三木市細川町
山城いちご園            三木市口吉川町  1月中旬~6月

西脇市
篠田いちご園            西脇市明楽寺町  1月~5月上旬

第23回「半兵衛の遺言」

いやあ、今回も冒頭から泣いちゃいました。
でも史実からは、どんどんずれてます。
官兵衛が助け出されたあと、官兵衛が信長に会った記録はありません。ましてや松寿丸が官兵衛とともに信長と会ったのもありえない。松寿丸が姫路に戻ったのは、播磨平定が終わった春のことです。
 来週、三木城開城ののち、御着城から小寺政職が逃げるのだと思われますが、御着城の落城は11月下旬から12月上旬で、三木城開城の一か月も前の事です。ここでも御着勢は奮戦し、一時は秀吉の馬印が射抜かれたほどでした。そのため火の山に布陣していた秀吉勢は、いったん大塩に引いたため、この谷を引き入れ谷と呼びます。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/story/story23.html

第24回「帰ってきた軍師」

「軍師官兵衛」、おもしろいんですが、脚本で描かれてた部分もカットされてたり、史実とはどんどん離れていきますね。
御着城の攻防戦は三木城落城前の12月上旬、御着城の南の火の山に布陣した秀吉勢と壮絶な戦いを行っています。その後、小寺政職は英賀城に逃れています。
三木城開城のシーンでは別所長治の叔父賀相が悪あがきして城に火を放とうとするシーンが省かれてます。その後、一ケ月にわたって行われた英賀城攻めもカットされました。
その後、官兵衛は姫路城を秀吉に献上して、国府山城に移り、三層の天守の建築がはじまります。9月、官兵衛は1万石を賜り、山崎城主となり、黒田家の旗幟を定めます。その旗は藤の旗ではなくて、中白の旗です。まるで官兵衛がこの時、新たに家紋を定めたようですが、小寺家の家紋は藤橘巴、黒田家の家紋は小寺家から賜ったことは明確です。
おかげでドラマの内容と「官兵衛紀行」の内容がずれちゃいましたね。
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/story/story24.html