浄土宗西福寺は初め惣社(射楯兵主神社)付近にあったが、天正(1573〜92)頃、当地に円誉生西が開基し、慶長年間、池田輝政が本堂を建立(播磨鑑)。本尊は帝釈天である庚申天も祀っていたので、第二次世界大戦までは「庚申さん」、庚申寺とも称されたが現存しない。(「兵庫の地名Ⅱ」)
光明寺の北側に位していた浄土宗の寺院。木下家定が姫路に入部した天正の頃、総社あたりから、この地に移転した。池田輝政によって本堂が造営された。境内に庚申堂が祀られたので、榊原家時代には庚申寺と称せられていたこともあった。昭和20年(1945年)7月の大空襲で焼失した。(ふるさと城南ものがたり・昭和53年刊)
西福寺は天正ごろ総社付近から当地に移る。開基は円誉生西。境内に庚申寺ともいわれ、姫路城の裏鬼門になるので厄除け寺ともいわれた。戦災によりいまの地に移り、現在は光明寺が管理している。(『城南地区』をたずねて)