姫路城南西の外曲輪に位置する町人町。俵町の南にある東西の町筋で西は西魚町、東は竪町。恵美須町(姫路府志)・夷町(「本多家在姫路覚書」中根家文書)とも記す。町名の由来は料理茶屋の恵美酒屋があったからとする説(大正8年刊「姫路市史」)などがある。慶長6年(1601年)の町割で成立。慶安2年ー寛文7年(1649〜67)の侍屋敷新絵図に『ゑびす町」とみえる。姫路町書上帳、元文5年(1740年)の姫路町飾万町地子銀控によれば家数27・地子銀291匁余、先述の恵美酒屋がのち海老屋(謙六か)と称し姫路藩御用商になり、天保元年(1830年)、藩命により屋敷を新築したという(大正8年刊「姫路市史」)。(兵庫の地名Ⅱ)