大正の米騒動

第一次世界大戦中に物価値上げが甚だしくなり、米は特に顕著で大正4年(1915年)、米1.5㎏(1升)12銭が、大正7年(1918年)には60銭まで上昇した(神戸又新日報大正8年8月9日付)。同年8月9日、大塩町で600戸の主婦たちが村役場に押しかけ米の値下げを要求した。翌10日、飾磨町の町民が米屋に押しかけ、1.5㎏を38銭で売り未然に免れた。8月13日夜、南畝町の中吉米店・下寺町の植原米店・福本町の萩田米店らが暴徒によって襲撃された。ちなみに当時、小学校教員の平均給与27円、警察官の初任給14円(「兵庫史探訪」)で、いかに暴騰していたかがうかがわれる。
この事態を憂慮した市民の有産階級の有志は「米の廉売会」を武徳殿に設けた。その販売所には市民が列をなした。1升30銭、一人3升を限度とし、5日間続けた(神戸又新日報大正8年8月16日付)、世に大正の米騒動として伝えられている真相である。(ふるさと城南ものがたり・昭和53年刊)