神功皇后が三韓御退治の御時、当国福泊の沖まで御船が来る時、雨しばしはれ間と勅があったので、晴間の沖といいます。風が吹き泊まったところを吹留りといいます。今、福泊(印南郡の内にあり)といい、当州を晴間の国といいます。
さて神功皇后は、御野庄の麻生山に御登りになり、大神地祇を十七日間、お祭りされました。麻生山をこの時までは葦男山といいました。神代より大巳貴命が御鎮座の山であった故、大巳貴命の御別名アシハラノシコオを略し、山の名としたのでしょうか。そして神火をお掲げになられた所を火の山といい、また神楽山といいます(御着村の山で村より6、7丁辰巳の方です)。
神功皇后は、近隣に幡矛神鈴を立て給い、矛を立てた所は山脇村の山といい、鈴を立てた所は鈴野といい、御着村の西です。幡を立てた所を幡野といい、山ノ脇村の東だといいます。御馬を繋いだ所を鞍淵といい、今は山ノ脇村の西山の麓の川淵です。
八流の幡のごとく慶雲の瑞があったところを、はた下山といい、今は八ヶ谷山といいます。
神功皇后の御陣があったところを姫の御前構山といい、印鐸の落ち止まった所をインチャク大明神といいます(山ノ脇村に祭られています)。
麻積の祖・竺志直の命に命じ、弩の弦を求めよと勅された時に、大巳貴命の神託として一夜の内に山に麻が生えたので、後に麻生山と名付けられました。
神功尊が弓弭でこの山の巖を穿ち給われた所を泉出の清水といい、鳴動石といい地震の前に鳴るのは、この清水の岩です。岩がががたる下に岩の重りが動くことがあります。古記に播磨ゆするの山というのがこの岩で、故に石動山と書きます。
このところに後に八幡を祝い祭るのは八幡屋敷の跡が峰の平地にあったからです。
これ麻の苧をさらした川を苧川といい、今は小川といいます。
御試に御弓を引き給う的を建て給うのが印南郡の中です。初めの矢は的の辺に飛んで、あだ矢となって落ちたので的涯といい、今は的形といいます。
一矢またあだ矢となって落ちた所を矢おち村といいます。今は飾西郡安室郷です(新在家村)。後に矢落村より北へ遷ったと見え、このところに古に神社があり、射楯兵主神といい二座・大巳貴と五十猛です(後に同郷辻井村に祭り、今は行矢明神という。延喜式に入っています。その頃は矢落村に祭っていたと古記に見えます)。
二の矢は余部庄青山村に落ちました。射目崎明神と崇祠します(古記に青山村 夢前川の所 昔はイルメサキ明神を祭り、昔はイメサキ川でした。夢埼川とは人丸の夢に住吉の御告げがあったという伝わります)。
三の矢は太市の郷の大石を射て、貫いたので破岩の明神といいます(太市中村の近所の山に三つに割れた岩があります。その上、山脇の氏宮は八幡宮といいます)。
大巳貴命が穴無の沖で神功皇后にお託しになり、西国への供奉のお告げがあり、川の瀬が早く、風が吹きたてますが、壊れた船はありませんでした。穴無村に速川の社として尊祠されています。麻生山の西の川にして水を引いて山を穿ち、神田の潤溝を掘らせ給うのをカナウタの井といいます。今、兼田と記すのは誤りです。
またこの時、神功皇后は神崎郡高岡庄内のつねや棚原山で天神地祇をお祭りになり、土師臣某を以て埴土を求め、大坪•小坪の土器を作り、八重の棚を構え、七重のしめを引き祭りになられ、土を取ったところを埴岡といいます(今、村を土師という)。握ってお集めになったところは岡部川の辺といいます。この近辺を川述の庄といいます。岡部川の上で土器を焼いたところを瓦屋村といいます。幣が神風で飛び散ったところを幣の庄(今、印南郡ヘイノ庄)。また神功皇后、御帰朝の時にも麻生山に御登臨になり、新羅の王子箕子を人質として当国にお止めになりました。この王子が天奏して揖保郡峰相山に精舎を建て、鶏足寺という。天正の頃、秀吉公に退散させられたといいます。
また木庭村の八重岩は神功皇后が宿され、天神地祇に御祈りになられた時、大巳貴命が姿を現されたところです。また同村に楯岩といって木庭山の東の方一反面ほどの岩があります。これは神功皇后が御弓を御試しになった楯岩です。
また神功皇后が五壇山にて三韓退治を御祈りになったので、山の周りに花壷があるのです。
蘆男山
我が国の あしをの神の岩くらは 長き世までの 石の印は
神くら山
播磨潟 ひとの國をば しつめんと 門出いさをし 神くらの山
棚原山
今も猶 此の神がきを あふくなり むらかりつとふ 棚くらの神
岡部川
岡部成 なつみの昔 跡たへす 今もまつりに 笠をいただく
早川
今とても 流れ絶せぬ 早川の 水底清く すめる宮ゐは
火の山
古しへに 神の明しの 火の山は 社久しき 道しはをふむ
古しへに 神のあかしの 火の山を 神楽の山と 名付たるらん
ヘイノ庄
神もよく 幸吹風に 幣とめて 真の水を 井にのこしつつ
この近所の神吉村(印南郡)に真名井ノ清水があります。神吉とは神の幣が降った故です。印南郡の部に見えます。
八重岩
八重岩の なきには神も いましけん つねにぬかつく 麻のゆうして
古しへに 諸神達の つといしに 空もはれまの 國のしるしや
この他、この国には神功皇后の故事が多いので、爰にもらします
(播磨鑑より)