浄土宗光明寺は慶長の町割の時、飾万津から移転。開基は念誉。(「兵庫の地名Ⅱ」)
慶長5年(1600年)、池田輝政の入部により町割に応じて飾磨津より移転した浄土宗の名門である。明治18年(1885年)、姫路および飾東郡15ヶ村は東西2つのブロックに分割され、東区務所は上寺町(今の五軒邸)の妙立寺に、西区務所は光明寺に設置され、連合議員20名が区政に参与した。しかし明治20年(1887年)4月、2区は再び1区となり、戸長役場が綿町に設置されたため、光明寺の区務所は廃止された(ふるさと城南ものがたり・昭和53年刊)
光明寺と西福寺(魚町)
光明寺は、江戸初期に飾磨津から現在地に移った。浄土宗で開基は然誉。明治18年姫路町と飾東郡の西区役所が置かれた。(『城南地区』をたずねて)